縁 起

光王殿最勝寺は寺伝によると古くは天台宗比叡山延暦寺に属し、平安時代はじめの創建と伝えられます。
寛正六(1465)年、京都東山大谷の本願寺が比叡山の僧兵によって破却され、追われた本願寺第八代蓮如上人は前門主以来の有力門弟、近江金ヶ森の道西坊善従をたよって、湖南の地で3年間にわたり熱心な教化を続けられました。

善従の強力な支援もあり、湖南の地は瞬く間に念仏繁盛の地となり、多くの寺院が天台宗から転宗し、本願寺に帰依することとなりました。
当寺も文明三(1468)年、川原門徒の熱心な願いにより金ヶ森道西坊より願智が入寺、蓮如上人より方便法身の御尊影と十字の御名号の下付を受け、本願寺に属することとなります。

この年をもって当寺の開基年とし、願智を開期とし、以来今日まで18代550年にわたり当地の本願念仏の道場として相続され今日に至っています。

珍しい山号「光王殿」

当寺の山号は「光王殿」となっています。これは江戸時代膳所藩の取次ぎにより京都御所(内裏)より授かったものとされたものと伝えられています。通例寺院の山号はその言葉の通り「◯◯山」とつけられますので、当寺のように「殿」と掲げられているのは大変珍しいことです。

「そろばん老僧」川那邊 願了

当寺第13代住職。学徳高く算術暦学を天台の普門律師に学び、医学にも長けていたと伝えられます。また、華道にも秀で、池坊の高弟の一人として孝明天皇の御崩御の折には立花を仰せつかっています。沈滞した宗門の改革を石見の僧•浄観とはかりますが意見が聞き入れられず、一時期本願寺に幽閉の身となりました。

許されて後は地元の子弟を教育し「そろばん老僧」と親しまれました。明治7年に入寂、時に73歳でした。 滋賀県政100年に際して選定された「滋賀県の偉人100人」の一人に選ばれました。

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